202307/24Mon

男性の為の介護哲学カフェとは?

\皆さま/
毎月第4月曜日15:00-16:30「男性の為の介護哲学カフェ」を開催しています!
本日はどんな話内容なのかをご紹介します!

本日のトピック:事例「介護をしていた妻を車いすごと突き落とす夫に懲役3年

Yさん介護経験談

介護中母親との関係が悪くDVをするのではないかと不安になり、当時介護殺人をした事件の犯人に会いたく拘置所に行ったが会う事は許されず、裁判の傍聴に行くように促され傍聴に行き俯瞰的になれた気持ちになり、介護によるDVをすると言う行動に至らなかったと思う。
介護経験時、親の借金がある事で自治体へ相談に行きリバースモーゲージを勧められた。
それには違和感もあり他の情報も得るようにした。介護は家族以外の他人の目が必要ではないか。
民生委員さんは支援の助けになるのか。町内会はどうか。

Kさん
40年間も介護し親戚からも施設に入るようにと促されているにも関わらず、本人は「施設に入れるのであれば死んだ方が良い」と言う発言があった。
自身の責任と親戚から助言を拒否するという事は議論することに有意義であると思う。
当時おせっかいをするような人がいた場合は回避できたのではないか。
社会保障制度は申請主義、申請できない事で陥る場合もあるのではと思う。
相談をできる人にはこのような事件にならなかったのでは。
相談をできない人には周りが動くしかない。
全責任を負うという固定概念はこのような事件になり得る。
日常的に弱者へ声をかけることがやって良いと思える人が必要。
プロだけに任せていく支援は違うのではないか。家族介護には限界があると思う、プロであれば客観的な支援が可能。
親子関係では感情が伴い適切な介護は難しい。介護は他人の手を借りることは良いモデルである。
事件を起こさないための方策はどんなことがあるのか。これからは独居の支援も課題では。
町内会自体は班長になり手がいない。昔の隣組は理想の組織体ではあったのかもしれない。
申請主義ではない共助の仕組みが必要。
男性は主体的責任感が強い、課題は孤独感が大きい。
社会が生き生きしていく希薄な関係でもコミュニケーションを求める人も多い

Mさん
第3者が当事者へ全責任かのような発言は問題がある。
そのようにならない世の中にならないと思う。判決にも情状酌量にならない違和感もある。
ある意味男性の介護者に陥りやすい事件ではないかと思う。
基本的に昔の仕組みを変化した方が良いのではないか。

Tさん
この当事者の頑な性格はどこからきているのか。
以前経験、自宅で介護をしていた人に助けを求められ一命を取り留めた人と重ね合わせることが多い。その人はとても真面目な人で時間が少しでも遅くなっていたらと後悔しかなかったと言っていた。
事件の当事者はそこに逃げ込んでいたようにも思える。
奥さんが施設へ入りたいと言っているにも関わらず入れなかった所に何か起因があるのではないかと思う。
当事者のホントの気持ちも弁護士が聴くべきではないかと思う。
介護は本人のライフワークになっていて負のライフワークになってしまっている。

介護殺人を解決する案があるとすると…
・ひとりでも呼びかけていく、一人でも行動していく気持ちが必要
・「友愛活動」の利用
・情報をネットワーク化する。
・現在は責任論、日本はマイナスの要素が多い、日本事態のパワーがない。これを変えることは一人ひとりが変えて行かなくてはならない
・強制的に支援に入れられる仕組みが良いのでは
・近所の強制的な仕組みが必要ではないか
・無縁仏全国で5万近くある、まったく血縁がない人は2500人程度、他が断るという無責任な人がいる。時間はかかると思うがそんなところから考えないとならない。

【全体まとめ】
“感情・社会保障制度・歴史的な背景・知識・コミュニケーション”

良かれと思う介護者→無意識の支配→感情

介護保険制度理解度→措置の時代→ 社会保障制度・歴史

年齢的に介護される側に儒教思想の根深い→歴史

事前の知識が無い→知識

家族内での介護知識の情報→コミュニケーション

他人の目→家の内情を振れられたくない→ちゃんとしていないといけない→普通でなくなったところを知られたくない。→感情

受動型思想→ 歴史

※以上 上記の白熱した議論をしています!ご興味ある方ははご参加をお待ちしております。

お申込みはこちらから「男性の為の介護哲学カフェ

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